大正から昭和にかけて官能の世界を描いた文豪・谷崎潤一郎
谷崎は帝国大学を中退し25歳で新進気鋭の小説家に。
30歳を過ぎた頃、妻の妹で自由奔放なセイコに恋をする。これがきっかけで「痴人の愛」を執筆した。
1923年関東大震災で家を失った谷崎は神戸に移り住むが、そこで17歳年下の人妻マツコに出会う。谷崎はマツコに恋すると、マツコの隣家に移り住み、280通以上の恋文を送った。マツコの夫が事業に失敗し出奔した事を機に、谷崎とマツコは恋仲となった。このとき書いた小説が「春琴抄」で、川端康成など文豪にも褒め称えられた。この2年後谷崎は妻と別れてマツコと再婚する。
結婚後、マツコの娘とマツコの妹との生活は華々しく、この頃の幸せな女の生活を描いた「細雪」に描いたのだが、太平洋戦争のため連載は中止された。それでも谷崎は「細雪」を書き続け、6年もの月日を経て出版されることとなった。