新潟の長岡藩、小林虎三郎。
佐久間象山に最も優秀な生徒と言わせた秀才だった。
幕府に意見したことから、自宅幽閉となり、失意の中で、人生を悟る。
彼が見出した結論は、学校を作り、人材を育てることだった。
しかし、今は、この考えは古いと思う。
現在では、学校で育てる人材は、明治当初のように、運命を共にしない。
当時とちがい、地域は生活圏であって、運命共同体ではないのだ。
人材を育てても、その人材が将来生み出す貢献は、育てた側に帰って来ない。
運命共同体を作ることを先にしないといけない。
まずは、自分の子供だ。
多くの親や教師が失敗するのは、教える側に、経済基盤と運命を共にするミッションが無いため、育てた子供を失ってしまうことだ。
一生懸命育てた子供を、企業や社会に取られてしまう。
明治時代はそれで良かった。社会が発展し、成熟することが優先された時代だったから。
しかし、21世紀はちがう。成熟した社会の中で、生き残り、次の世代を成功に導き、自分も成功するために、学校ではなく、家庭での「学問」が大事だ。
求められている教育は算数や物理ではない。
いかに良い親子関係を築くか?いかに良い家族関係を作るか?最優先に学ばなければいけない情報は何か?自分で考え、自分で調べ、自分で実践する力だ。
どうしたらもっと多くのお金を得て管理することができるか?どうすれば、もっと自由な時間を得ることができるか?どうすれば、もっと成長できる人間関係や環境を得ることができるか?健康になるためにはどうすればいいか?目に見えない運命を知り、より良く変えていくために何をしなければいけないか?
これらの多くは学校では教えられない。教師がそれを知らないで生きているからだ。
その責任は親にある。親が自分と子孫のために、これらの重要なことを学び、そして成功し、子孫が成功できるように生きなければいけない。
幸いなことに、これらの情報や生き方は、成功者が書き記している。現在ではYOUTUBEで無料で話して説明してくれる。会いにいけば喜んで教えてくれる。運命を共にしてくれる人もいる。
残念ながら、そういう成功者は、教師にはならない。学校というシステムでは教えられない。
小林虎三郎の後継者はどこにいるのか?彼の作った学校から、どんな人材が育ち、何をしたのか?なぜ彼は50歳で死ななければいけなかったのか?
彼の失敗から学ぶことができる。
学校ではない。家庭こそが、学問の場であるべきだ。そのために、父親の生き方が問われている。