100分de名著 法華経 第4回「“人間の尊厳”への讃(さん)歌」

NHKEテレ 東京 2018年4月23日 (月) 22:25 (00:25)
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シリーズ: 100分de
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誰もが一度は読みたいと思いながらも、なかなか手に取ることができない古今東西の「 名著」を、25分×4回、つまり100分で読み解く番組です。
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宮沢賢治の「デクノボー」のモデルと言われる常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ))
経典を読むのが仏道修行の基本だが、常不軽菩薩:サターパリプータは満たしていない。しかし、人間を尊重する行為は貫いた。経典は読まないが、その振る舞いが「法華経」にかなっていた。
この解説を聴いて、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に登場する『鳥捕り』は将に常不軽菩薩の分身じゃないかと感じた。
以下、『鳥捕り』について2006年6月に書き記した一文を掲載させていただきます。
銀河鉄道の夜『鳥捕り』の人生
鳥捕りは銀河鉄道を使って鳥の姿を見つけると途中下車して鷺だとか雁だとか大型の鳥を捕まえることを生業にしている。
鳥を捕まえる方法は本人の言葉によれば「鷺がみんな、脚をこういう風にして下りてくるところを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっとおさえちまうんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」ということである。
捕らえた鳥は『押し葉』にして保存する。
鳥捕りの鳥の味はジョバンニによれば、チョコレートのような味のようだ。
銀河鉄道はどうも一方向にしか走っていないらしい。
鳥捕りはジョバンニの持っている紙を横からちらっと見て、「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまでも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」と全てが分かっているかのごとく発言している。
話を読み進むうちにどうやら死んだ人々はそれぞれの片道切符で自分の安住の地に向かうようだ。
船の難破により亡くなった子供達とその家庭教師の青年はサザンクロスで降りていった。
そして、ジョバンニの心友カムパネルラはそらの孔・石炭袋まできたところで母親を見つけ、姿を消してしまう。
最後に残った乗客であるジョバンニはひとときの眠りから覚め、カムパネルラの死を知ることになる。
鳥捕りは一方向にしか向かわない銀河鉄道を自由に乗り降りしながら、安住の地へ向かう人々と話をし押し葉にした鳥を振舞うことを楽しみにしているようだ。
鷺の停車場が近づいたところで、宮沢賢治はジョバンニに、そんな鳥捕りへの気持ちを次のように言わせている。
・・・ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊こうとして、それではあんまり出し抜けだから、どうしようかと考えて振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度をしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖った帽子も見えませんでした。

宮沢賢治はこの鳥捕りの人生に幸を見出している。
鳥捕りの生き方は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩にも通じている。
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