イジメとは「気に入らない、恨み、ねたみ」等、様々な要因で始まる行為だと認識されているようだ。
イジメの根底にあるのは、身を守る本能から来ているものだと思う。
その現象としては、自分と対象となる人物を比較して自己が優位な位置にいようとする行為の一つの手段。
相手の劣っているところや周りより変わっているところをマイナス面扱いし「からかう、冷やかす、けなす、なじる」等の行いをし、優越感にひたろうとする行為。
または、相手の存在を無視や否定をし、差別化を図る行為。
しかも、それらがいきすぎると、相手に犯罪を強要するようになりうる。
そして、このようなことが悪いことで撲滅すべきものではあるが、いつの世にも存在している。
これは言うまでもなく子供の世界だけのことではなく、会社や病院、福祉施設、役所などなど、人間の集まるところにはイジメやイヤガラセが存在する。
このような行為を行う者達は、実は肉体的や精神的に弱い者が多い傾向がある。
そのような者達は集団化しやすく、目標を作り上げ相手の弱点を狙いイジメるのだ。
昨年だったかイジメ集団が狙いおとしいれるがために、故意におこなった医療ミスがあった。
そのことを知った人物が上司である部長に告発したところ、部長はイジメ集団の者を可愛がっており、告発人物を相手にしないどころか逆に幹部を集め懲罰会を開き、自宅謹慎と減俸の措置を取ったのち、うやむやにしたままだ。
ゆわゆる“パワハラ”のさいたるものである。
このような医療機関には安心して子供を預けられません。
悲しいことだが、これが現実なのだ!
イジメを無くせれば理想ではあるが、現実的にはいかにイジメと付き合っていくべきではないか!?
「からかい、てがい、いじり、ふざけ、冗談」等、全てがイジメに繋がる要素を持っているが、これらも必要なものではないか!?
借りに無くせれたとして、どのように感じるかだ。息苦しくならないだろうか。
それより必要なことは、これらをいかに使い分けるべきではないか!?
障害者は幼いときから「かたわ者、やっかい者、びっこ、ちんば、よだれくり、おし、つんぼ、眼暗(めしい)、障害が移る」等と冷たい視線や言葉を浴び、大人になっても常に虐待じみたイジメ行為に脅かされ、ときによっては被害者となっているが、それと付き合わざるを得ないのだ。
皆さんが考え合って打開策を見つけられれば良いのだが、喧嘩や戦争などと同じように永遠の課題だと思っている。
だが、他人に迷惑を掛ける行為までへ発展や、取り締まる役職側がイジメ側を庇う等の行為や保身はいかがなものか。
金銭的損益、外的な傷、心の傷、などなど・・・、その者が抱えるものの大きさは償っても償いきれるものではない。
いい加減にしろ!!