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  • 歴史秘話ヒストリア▽新常識!歴史NEWS~目からウロコの大発見2015−16 (2016-01-20 22:00放送)
    2015年の歴史的発見を紹介
    ・銅鐸

    ・玉音放送原盤

    ・秀吉の指月伏見城

    ・与謝蕪村の手紙

    ・太宰治の手紙

    ・長崎県の沖合で発見された鎌倉時代の蒙古襲来沈没船

    ・福岡県で見つかった弥生時代の青銅鏡の鋳型

    ・真田幸村の真田丸

    ・織田信長の小牧山城の石垣

    ・宮崎県で発見された古代の鎧
  • 先人たちの底力 知恵泉 トップを目指す組織とは「徳川四天王」(後編) (2015-05-05 22:00放送)
    徳川四天王、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政から知恵を学ぶ
    徳川四天王、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政から知恵を学ぶ。

    井伊直政は俸禄と誇りを保証することで武田の旧臣を取り入れた。こうして武田伝統のの赤備えは井伊直政へと引き継がれ、井伊直政が後に彦根藩主となったことで、彦根にゃんは赤い兜を被っているとのこと。なるほど!

    若くして家康に取り立てられた井伊直政を妬んだ榊原康政を重鎮酒井忠次は厳しく諌め榊原はこれに応じた、意外と人間臭い四天王。

    1584年小牧・長久手の戦いでは、赤備えの武田の旧臣を率いる井伊直政、僅か500人の群勢で秀吉率いる2万の大軍と対峙した本多忠勝、秀吉を逆賊扱いした檄文で戦況を操った榊原康政、と、四天王はその力を結集し、秀吉を和睦に追い込んだ。

    1600年関ヶ原の合戦では酒井忠次はすでに病死しており、前線で家康と共に戦ったのは井伊直政と本多忠勝。2人の署名入りの起請文を毛利家に届け毛利が合戦に参加しなかったことは味方大きな勝因のひとつだった。

    ところが、榊原康政と家康嫡男秀忠は遅れて到着し、合戦には参加しなかった。激怒した家康を宥め説得し秀忠の許しを請うたのは榊原康政だった。

  •  (放送)
    東京電力
    高い放射線量が確認されながらも、避難対象とならなかった地域より自主避難を選択をした人々を取材。福島市に住んでいた上野一詔さん一家の自宅付近にはホットスポットなどが存在していて、被ばくを恐れて外出を制限していた。そんな折、政治家の発言を切っ掛けに北海道・札幌市に自主避難した。現在、上野一詔さん一家は3DKで、日本赤十字社から提供されたテレビなどを使用して生活している。また、上野一詔さん一家は市民団体の「むすびば」うけいれ隊 東日本大震災市民支援ネットワーク・札幌の支援で支えられている。 福島・須賀川市から自主避難した吉田しのぶさんは母子だけで避難してきた。東京電力は自主避難の「18歳以下」「妊婦」一人に60万円を、その他は一人8万円の賠償をするが、今月にようやくこの受付が始まったばかり。 上野一詔さんはダイナックスの苫小牧工場で再就職を果たした。また、上野一詔さんは自身の代では無理かもしれないが、何世代後かには福島に帰れるようになってほしい、と話した。