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  • こころの時代 「悲しみと寄り添う~スピリチュアルケアの仏教者~」 (2023-10-28 13:00放送)
    悲しみに囚われることなく、心の平安を保つ
    スピリチュアルケアラーの仕事は、悲しみと寄り添うことよりも、終末期を幸せに生きるための手助けをすることである。
    「生まれた者はみんな死ぬ。」この真理に気づいて、いたずらに悲しむなかれ。それがブッダの教えである。


  • NHKスペシャル選 ヒューマンエイジ人間の時代 第2集 戦争 なぜ殺し合うのか (2023-08-15 01:50放送)
    独裁者の破壊欲には際限がない
    恭順の意を示さない者は容赦なく抹殺する。
    敵対するグループ等にはジェノサイドもお構いなし。
    形勢が悪くなると核兵器の使用で脅しをかける。
    「なぜ殺し合うのか」等と悠長なことは言ってられない。
    世界終末時計。 2023年現在は「90秒前」
    これ以上進ませてはならない。
  • NNNドキュメント「わが子を看取る おうち診療所ですごした3か月」 (2018-05-21 00:55放送)
    悲しいけど現実
    神戸にあるチャイルド・ケモ・ハウスで家族と余命を過ごす4歳の小児がんの女の子、いっちゃん。元気そうに見える姿から始まるこのお話。タイトルからすでに展開が見えているのがツライです・・
    我が子の終末期医療にたずさわる家族の姿が垣間見えます。

    ---

    米田一華ちゃん(4)に残された時間はあとわずか。ママとパパと妹、そして間もなく弟が誕生予定の家族が、一華ちゃんの最期を迎える場として選んだのが病院と自宅の間のような"おうち"診療所でした。難病の子が家族と一緒に暮らしながら医療ケアを受けられる全国でも数少ない施設を舞台に取材班は、幼い子の看取りまでの家族の葛藤と苦悩、その果ての決断を記録。リアルな映像を通して、子どもの終末期医療の充実を訴えます。
  • NHKスペシャル「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」 (2016-05-15 21:00放送)
    天使か悪魔か、いやスーパーマンだ!
    スーパーマンは肉体派だけれど、人工知能は知性派のスーパーマンである全知全能の神を目指すのではないか。そして、人間に最後の審判を下す。
    ウィキペディアによれば、
    「最後の審判(さいごのしんぱん、Last Judgement)とは、ゾロアスター教およびアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)が共有する終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰である。」
  • クローズアップ現代「“最期のとき”をどう決める~“終末期鎮静”めぐる葛藤~」 (2016-01-19 19:30放送)
    「ご自身は終末期鎮静はされたことがあるんですか」との問いに、
    「若かりし頃というんですかねえ、40代の頃に一人だけ終末期鎮静、殺させていただいたことがあるんです。---」と日本在宅ホスピス協会会長は応えた。
    “終末期鎮静”=苦痛緩和、積極的安楽死=死との枠組みがあるというのに、
    会長の答えだと“終末期鎮静”=死ということになる。
    この番組を視聴して、“終末期鎮静”は在宅ではできないことにするのが賢明な対処策と観た。
  • NHKスペシャル 新・映像の世紀「第1集 百年の悲劇はここから始まった」 (2015-12-18 00:10放送)
    第一次世界大戦から百年、戦火は絶えることがない。
    これからの100年も「戦争の世紀」は続く気配、平和は遠のくばかりだ。
    第三次世界大戦は回避できるだろうか。
    1947年創設時、7分前であった世界終末時計は2015年は3分前。
    世界の終末に向って4分進んだ。もう後がない。
  • 古代エジプト 愛と野望の女王たち (2015-09-14 01:55放送)
    古代エジプト3000年の歴史は厳然として存在した。
    しかし、未だ多くの謎に包まれていて、飽きることがない。
    古代エジプトの紀元前3000年の歴史に対して、紀元後の歴史はまだ2000年に過ぎない。あと1000年、世界終末時計3分前の現代社会は存続できるのだろうか。ま、ケセラセラなるようにしかならない。
  • がっこうぐらし! (2015-08-13 23:30放送)
    ゾンビは管理できる脅威、人間は管理できない脅威
    題名の話をどこで聞いたか思い出せないが、閉鎖空間で良好な人間関係を築けるか、
    終末ものでは必要。

    三人(元はもう一人……)に一人(友人は……)が加わりどうなるか?
    学校案内と体育祭を通じ「見なかったこと」が徐々に明らかになり仲間になった。


  •  (放送)
    経済と宗教第二弾はキリスト教
    キリスト教の中で経済的に成功しているのはプロテスタント、中でもカルヴァン派である。キリスト教では人は死後地下の世界で終末を待ち、最後の審判のときに蘇り生前の行いから天国行きか地獄行きかを審判されると信じられている。しかしカルヴァンは神のその万能さのため人は生まれながらにして天国へ行くか地獄へ行くかが決まっていると説く。即ち自分が勤勉に働いた結果それが成功すればそれは初めから約束されていた成功であり自分は天国へ行くことが決まっていた人間だという証明になるという論理をとる。それゆえプロテスタントには経済的成功者が多く、またアメリカが世界一の経済大国であるのもプロテスタントが多いというのも無関係ではないだろう、という話。
  •  (放送)
    人生の 最後 自分の 家で 迎えたいよね
    終末の 看取り なんといっても 家族 まわりの 医療関係者の 支えなしには できないよね まずは 看病する 家族の 不安を 取り除くこと から あとは 社会資源の 活用かな
  •  (放送)
    知恵がつく→終末思想→イエスの登場
    律法にしたがって善く生きている俺は正しいはずだ→それでも神から救われない→私たちユダヤ人全部が罪だ→私たちですら罪なのだから全ての人間が罪だ→神はいつか世界を滅ぼすはずだ→そのあと新世界がくる→いつだ?→イエス「今でしょ」「俺は神に救われた」

    姜尚中さんは「ヨブ記」は人間による問いと神による問いの封じ込めの物語であり、現代人は問いではなく答えを求める、と述べたその流れで、伊集院さん。
    「今の世の中 そうですよね。問おうとも思わない。多分 問いを問いかけた時点で批判と思われるんだろうなとか 許されてないようなとこ ちょっとあるじゃない 空気を読みすぎてなんですけど」
  •  (放送)
    最近は終末感が非常によいです。
    ダンスが無くなってからというもの、この番組は生き返りましたね。こういう展開だと毎週楽しみです。来週の新フォームも期待。
  •  (放送)
    新潟県南魚沼市の“人生”のノート、家族のふれあいの場になっているなあ。
    巷間言われる「エンディングノート」は「高齢者が人生の終末期に迎える死に備えて自身の希望を書き留めておくノート」であり、「死」を前提にしているのに対し、南魚沼市で広まっているノートは「生」に立脚してつくられているのだろう。
  •  (放送)
    終末期医療というテーマが秀逸だった
    今回のチーム・バチスタは舞台となった終末医療専門の病院というのが良かった。ミステリーを追求しつつも、毎回、人の命とは?を問いかけつつ、それがまさにミステリーの主題にもなるという壮大な仕掛け。演技達者のキャストも良かった。
  •  (放送)
    いよいよ閉ざされていた部屋、別荘が明らかになり、ついにあの人物が!
    碧翠院の螺鈿の部屋、そして別荘まで次々に明らかになり、ついにあの人物が!半分ネタバレしつつも、ドラマとしてはおもしろいのは、やっぱり終末医療が舞台となり人の死が常にそこにあるといった設定がストーリーに深みを与えているからだと思う。
  •  (放送)
    ついに長野の事故が明らかに!
    長野での医療事故がついに暴かれる!しかしまだまだ深まる謎…。そして今回は終末医療に携わるものの苦しさにもドラマならではの方法でよく迫っていた。
  •  (放送)
    毎回のエピソードが深みを感じさせている
    終末医療の病院が舞台なだけに、毎回、ある人の“終末”が描かれるのが、ドラマ全体に深みを感じさせてすごくいい。今回のうめさんのエピソードは秀逸。そしていよいよ謎も核心に迫って来た!
  •  (放送)
    人生の最後に何食いたい?
    終末医療の一環で余命いくばくかの患者に好きな食事を与え天寿を穏やかに全うしてもらうセラピー。食への拘りは人生の鏡のように見て取れる。貧しくて寿司と言えば鯖寿司だった男性、今でも最後に食らう寿司は鯖寿司。初めて食った白米が忘れられないと希望した食事は釜で焚いた白米のみ希望した爺さん。最後に食べたいと願う食事は皆なんだろう?色々考えさせられる。

    俺はカーチャンのチャーハンが食いたい J( 'ー`)し
    ↓ これの影響
    映画 たんぽぽ かーちゃん、最後のチャーハン
    http://www.youtube.com/watch?v=iVUsm-FrUiU

  •  (放送)
    元プロボクサー医師の死生観「死ぬってことは最期まで生きること」に共感した。
    「死ぬ瞬間まで生き続ける」というのは私の信念とするところでもあり、我が意を得たりの心境になった。
    同医師には「家で死ぬということは、家で最期まで生きること」という基本的な考えを貫いて、新たな終末期の在宅医療を実現してほしいものだ。